【浜松市動物園7】
フライングゲ-ジ
コジュケイ
ハクトウワシ
ビ-バ-
ホッキョクグマ
キロル(現在は釧路動物園に移動)
アシカ
ペンギン
フンボルトペンギン
同上
ふれあい広場
ヒグマ
イケメンヒグマ
青藍
真孔雀
インドクジャク
白孔雀
アジアゾウ
浜子
ライオン
アム-ルトラ
◆アム-ルトラ
トラはライオンと並ぶネコ科の中でも最大の動物だが、アムールトラはその中でも最も体が大きく、成熟した雄の体長は3.5mを超え、体重は380kg程になるものもいると言われている。
また、トラの仲間ではもっとも北方に分布しているトラで、ロシア極東部や中国東北部などのアムール川流域に生息し、別名をシベリアトラとも呼ばれている。
アムールトラは寒い地方に生息している為、毛は長くて深い。
夏毛では、背側の長さが1.5cm程だが、冬毛は4~5cm程の長さになり、首周りは夏冬共にこれよりも長い。
トラに見られる黒い縞は幅が狭く、腹部は白い。
また、夏毛はベンガルトラに似ているが、冬毛は長くて綿のようで、体色が淡く鮮やかになり、換毛期には長い冬毛が残り、夏毛と混じっている。
アムールトラは他のネコ科の動物と同様、普段は単独で生活し、広い縄張りをもった生活をしている。
落葉樹や針葉樹の混在した低木の森林などに生息し、海抜1000m辺りまでに多く見られる。
主として夜行性だが、時に昼間も活動する。
獲物を狙うときは待ち伏せして襲うこともあるが、積極的に狩りに出ることが多い。
アムールトラは一晩で10~20km、或いは30~40km程も歩きまわると言われ、ヘラジカやアカシカ、ニホンジカやイノシシなどの他、鳥や両生類、魚など、何でも食べるが、力が強く、ウシなどの大型の草食動物なども単独で倒すことができる。
また、アジアにおいてトラに対抗し得る動物はヒグマだが、アムールトラはヒグマをも倒してしまうこともあり、運動能力にも優れ、泳ぐのもうまい。
決まった繁殖期は見られず、倒木の下や岩穴などに巣をつくり、子どもは雌が育てる。
妊娠期間は3~3.5ヵ月程で、1産1~6子、ふつうは2~4子を出産する。
生まれたばかりの子どもの体重は1kg程で、目は開いていない。
目は10日から2週間ほどで開き、2ヵ月程の授乳期間の後、少しずつ肉を食べるようになる。
1年半ほどは親と一緒に生活し、雌雄共に4年程で性成熟する。
飼育下での寿命は20~25年程度と言われているが、野生では短く、10~15年程度と考えられている。
◆アジアゾウ
アジアゾウは南アジアや東南アジアなどに分布しているゾウの総称で、アフリカゾウと同様、陸上で最大の動物としてよく知られている。
体は大きく、鼻は地面に届くほど長く、この大きな鼻を支えるため、首は短くて頭部は大きい。
耳は大きいが目は小さく、四肢は太くて長い。
尾の先には毛があるが、体の毛はまばらに生えている。
体色は灰色や暗灰色、褐色を帯びたような灰色で、頭部や耳、鼻の基部などに薄いピンク色の斑があるものも見られる。
牙は雌雄共にもっているが、雌の牙は小さく、ふつうは外からは見えることはない。
アフリカゾウとの外見上の違いは、アフリカゾウの背中は真ん中辺りがくぼんでいて、頭部と腰の部分が高くなっているが、アジアゾウの体は樽型のような感じで、背中の真ん中が一番高くなっている。
額部分は、アフリカゾウでは真ん中が出っ張っているのに対して、アジアゾウでは左右が突き出ていて、額の中央はくぼんで見える。
また、耳はアジアゾウもかなり大きいが、アフリカゾウでは更に大きく、肩を覆うほどに大きい。
爪は、アジアゾウではふつう前肢に5本、後肢に4本もっているが、アフリカゾウでは前肢に4本、後肢に3本もっている。
鼻はいずれも長く、器用に使いこなしているが、鼻の先端には物をつかめるような突起があり、アジアゾウでは先端上部にひとつだけだが、アフリカゾウは上下ふたつの突起がある。
その他、体はアフリカゾウの方が大きく、牙はアジアゾウでも雌雄共にもっているが、雌の牙は小さく、稀に牙をもっていないものも見られるなどの違いがある。
アジアゾウは草原や常緑林、二次林や落葉林など、多様な森林地帯に生息しているが、開けた草原と続いているようなところに多く、草原や背の低い植物の広がる場所、森林などが入り混じっているようなところに多く見られる。
湿気の多い森にも生息していて、インド北東部などでは標高3000m程の高地にも生息している。
アジアゾウは社会的な生活を営んでいて、多くは15~20頭程の群れで生活している。
この群れはアフリカゾウと同様、母系の家族単位で、雌とその子どもたちからなっていて、群れは年長の雌によって率いられている。
代を重ねることによって群れの数は多くなるが、群れがある程度大きくなると分散していく。
また、雄は単独でいることが多い。
縄張りを主張するようなことはないが、平均すると雄は15k㎡、雌の群れは30kk㎡程の行動範囲をもっていて、食料や水を求めて毎日移動している。
乾季などには行動範囲は広くなるが、食料事情や群れの大きさ、生息環境などによっても行動範囲は変化する。
また、アジアゾウはかつて季節移動していたことが知られているが、現在は農地の開発などで生息地が分断されていて、事実上不可能になってしまっている。
草類などの植物質のもの食べるが、木の葉や樹皮、木の根や枝、低木の茎、ブドウなどの果実類など、さまざまな種類の植物を食べる。
採食するときは鼻を巧みに使い、木の葉などは鼻で巻き取るようにして食べ、直接口でかぶりつくようなことはしない。
また、背の低い草などは、鼻の先端にある突起をうまく使って食べるが、この鼻は上唇と鼻が一緒に伸びたもので、中には2本の鼻の穴が通っている。
鼻の先端の感覚は敏感で、人の指のように使いこなすことができるほか、鼻の筋肉は強靭で、250kg程の重さのものも持ち上げることができると言われている。
採食は早朝や夕方、夜間に行われるが、休息や採食はほぼ同じ場所で行う習性があると言われている。
平均すると1日に150kg程の植物を採食するが、水も1日に80~200リットル、平均すると140リットル程も飲むと言われていて、水源から遠く離れてしまうようなことはない。
水を飲むときも鼻を使って口に運ぶが、長い鼻は一度に4リットル程の水を吸い込むことができる。
また、サイのように水浴びや泥浴びすることを好み、体色はしばしば土壌の色を帯びていることがある。
動物園などでも砂や水をかけている様子が見られるが、これは寄生虫などから皮膚を守る役目を果たしていると考えられている。
牙は、アジアゾウも雌雄共にもっているが、ふつうはアフリカゾウのものよりは小さい。
特に雌の牙小さく、口を開けないと見ないほどで、稀に牙をもっていない雌もいる。
しかし、雄の牙は長さ1.8m、重さは45kg程度、中には3m程の牙をもつものもいて、アフリカゾウに劣らないほど立派なものも見られる。
この牙もさまざまな目的に使われ、樹皮を剥いだり、地面を掘って木の根や水を得たりするほか、倒木を移動することなどに使われている。
平均した体の大きさもアフリカゾウよりは小さいが、それでも体高3.4m、体重が6500kg程に成長するものも見られ、力も強い。
視覚は弱く、首が短いので後ろを見ることはできないが、聴覚と嗅覚はきわめて優れている。
また、足を地面から同時に離して駆けることはできないが、走るのも速く、50km/h近くの速さで駆けることができる。
このほか、アジアゾウは他の大型哺乳類と同様、温度変化によく対応している。
日中の暑い時間は日陰などで過ごし、大きな耳で扇ぐようにして体温を放熱しているが、皮膚は厚く、寒さにもよく耐える。
【天王川公園33】<2017>
津島藤まつりⅢ
藤棚❶藤棚❷
藤棚❸
藤棚❹
藤棚➎
藤棚➏
藤棚❼
藤棚❽
藤棚❾
藤棚❿
藤棚⓫
藤棚⓬
藤棚⓭
藤棚⓮
藤棚⓯
藤棚⓰
藤棚⓱
躑躅➀
躑躅➁
躑躅③
藤棚⓲
藤棚⓳
藤棚⓴
◆藤
一般名称としての藤には、つるが右巻き(上から見て時計回り)と左巻きの二種類がある。右巻きの藤の標準和名は「フジ」または「ノダフジ」、左巻きの藤の標準和名は「ヤマフジ」または「ノフジ」である。
蔓は木に巻きついて登り、樹冠に広がる。直射日光の差す場所を好む、好日性植物である。花序は長くしだれて、20cmから80cmに達する。花はうすい紫色で、藤色の色名はこれに由来する。他のマメ科植物同様、夜間は葉をすぼめる。
分布・生育地
人間との関わり
強い日当たりを好むため、公園や庭園などの日光を遮るもののない場所に木や竹、鉄棒などで藤棚と呼ばれるパーゴラを設置し、木陰を作る場合が多い。天蓋に藤の蔓を這わせ、開花時には隙間から花が垂れ下がるように咲く。変異性に富んでおり、園芸品種が多い。一才藤(いっさいふじ)として鉢植えや盆栽用に流通するのは、樹高50cmくらいの一才物のフジ。
【浜松市動物園6】
「なつかしの動物園」パネル展
リャマ
エミュ-
クモザル壱
クモザル弐
フライングゲ-ジ一
フライングゲ-ジ二
フライングゲ-ジ三
フライングゲ-ジ四
フライングゲ-ジ五
フライングゲ-ジ六
フライングゲ-ジ七
フライングゲ-ジ八
◆クロカンガル-
オーストラリア南部に広く分布し、体高が約130cmと大型のカンガルーであり、体色は淡い灰色から茶色で、メスよりもオスの方が大きい。
分布
シャーク湾南部から南オーストラリア州の海岸地帯、ビクトリア州西部、ニューサウスウェールズ州およびクイーンズランド州のマレー・ダーリング川流域に及ぶオーストラリア南部の半乾燥地帯に分布している[1]。また、南オーストラリア州のカンガルー島にはカンガルー・アイランド・カンガルー(Kangaroo Island Kangaroo)として知られる亜種が分布する。オーストラリア北部の熱帯地域やオーストラリアの南東部の肥沃な地域では見られない。
形態
体重28~54kg、頭胴長0.84~1.1m、尾長80~100cm、体高は約130cmになる[2]。性的二型があり、オスはメスの約二倍の大きさになり、オスは体重が最大で約54kg、メスが最大で約28kgになる[1]。体毛は厚く、ごわごわしており、色は淡い灰色から茶色であり、喉から胸、腹にかけては乳白色となる[1][3]。また四肢の先端や爪、尾の先端部などは黒褐色となる[1]。
生態
夕方から早朝にかけて活発に活動する夜行性動物で、最大15頭の群れになる。 食性は草食性で、主に草本類を採食するが、葉のある灌木や低木類の葉も採食する。成獣の雄が発する独特のカレーのような匂いから、Stinker(臭いやつ)という愛称がある。
繁殖期になると、オスはメスを巡り競り合う。この“ボクシング”と呼ばれる競争は、お互いに腕を組み合わせ、突っ張りあう。通常、グループ内の優位なオスのみが行う。
妊娠期間は30~31日間で、ジョーイ(Joey)と呼ばれる非常に小さな未熟児を産み、130~150日間、育児嚢の中で授乳し育てる。育児嚢から出た後も、42週目前後までは育児嚢に出入りする生活を送る。オスは2年半から4年で、メスは約20ヶ月で性成熟し、繁殖が可能になる。
◆クモザル
特徴
本科に属するサルは、頭胴長34-72cmと、そのサイズは小型から中型に及び、グループのメンバーとして、最大のホエザル類から最小のクモザル類までを含む。長くておおむね無毛の尾には、下側部に敏感な触覚パッドがあり、物をつかむことができる。すみかとする木々の間を移動する際、この尾はしばしば「5本目の足」として用いられる。また、前後肢の指先に平爪をもち、これによって木に登ることができる。ほとんどの種は、主に暗褐色・灰色または黒色の体毛をもつが、薄い毛色の模様をもつものもある。
樹上性かつ昼行性であり、ほとんどの種の分布は熱帯雨林に限られるが、ホエザル類の一部は、より乾燥した森林地帯や、木々のあるサバナに棲む。主に果実と木の葉を食物とするが、とりわけ小型の種は、小さな昆虫を食べることもある。歯式は 2.1.3.3/2.1.3.3 。
メスは180-225日の妊娠期を経て1頭の(まれに2頭の)子どもを生む。ほとんどの種では、メスは1-3年に1度出産し、季節による産子数の差は、ほとんど、あるいはまったくないと思われる。
本科のサルは典型的な群居性動物であり、種によって異なるが、25頭までの成獣を含む群れをなして暮らす。ホエザル類で通例見られるように、群れが比較的小さい場合は、複数のメスからなる「ハーレム」を単独のオスが独占するが、大きな群れには、明確な順位をもつ複数のオスが含まれる。
【天王川公園32】<2017>
津島藤まつりⅡ
八重黒龍藤壱
八重黒龍藤弐
◆天王川公園
1920年(大正9年)に開設された公園で、公園の中央にある楕円形の池「丸池」は、かつて町の中を流れていた佐屋川の支流・天王川の名残りとして知られる。この地は鎌倉時代以降、津島湊として隆盛を誇ったが、江戸時代には土砂の堆積が進み、1785年(天明5年)に川をせき止めて入江とした。池は当時の入江部分に相当する。
1899年(明治32年)に佐屋川が廃川になると天王川は孤立。当時、愛知県によって日光川から天王川への運河開削が計画されたが、地元の反対によって中止されている。1918年(大正7年)に津島町議会で公園計画が議決され、1920年に開園。この地域の中心的な公園として利用され、競馬大会やオートバイレースなどが開催された記録もある。
1935年(昭和10年)に猿動物園が置かれたのに始まり、1958年(昭和33年)にはライオンやクマなどを飼育する動物舎が設置。以降もフラミンゴなどが飼育されていたが、1998年(平成10年)に廃止された。
津島市はフジの名所であり、公園にも1978年(昭和53年)から藤棚が造成され、1983年(昭和58年)には「日本最大の藤棚」が完成している。現在では四季折々の景色を楽しむことができ、2007年(平成19年)には日本の歴史公園100選にも選ばれた。
祭り
【浜松市動物園5】
動物園内
企画展
開発前
浜松城周辺にあった頃
◆浜松市動物園
浜松市動物園(はままつしどうぶつえん)は、静岡県浜松市西区にある市営動物園。浜松市フラワーパークの北隣で、両者を合わせて舘山寺総合公園(かんざんじそうごうこうえん)を形成する。
隣接する浜松市フラワーパークとは園内通路同士で繋がっており、「共通券」を購入することで両園を自由に巡ることができる。
霊長類の展示は、国内の動物園としては最大級で、ニシローランドゴリラやスマトラオランウータン・ゴールデンライオンタマリンなどが居り、67種970匹(2014年6月現在)は日本モンキーセンターに次ぐ規模である。その他にも、ミニ・サファリ形式の大放牧場や動物ふれあい広場・こんちゅう館など、教育施設としても立派な動物園である。猛獣は、ライオンやトラを始め、クロヒョウ、ユキヒョウ、ジャガー、ヨーロッパオオカミがおり,地方都市の動物園としては充実しているとされる。- 1950年(昭和25年)11月1日 「浜松こども博覧会」が現在の浜松城公園(中区)で開かれ、閉会後の跡地に浜松市動物園が開園。
- 1982年(昭和57年)
- 4月 アドベンチャーワールド(和歌山県)からニシローランドゴリラのオス・メス各1頭が来園。
- 10月31日 移転準備のためこの日をもって一旦閉園。
- 1983年(昭和58年)4月2日 西区にある浜松市フラワーパークの北隣の現在地に移転開園。面積は123,000平方メートルと旧所在地の約6倍に拡張した。
- 1994年(平成6年)12月 ゴールデンライオンタマリンの飼育が始まる。ブラジル政府より雄雌2匹を借用した。
- 2004年(平成16年)3月10日 ユニバーサルデザインに基づいた整備工事を完了。[2]
- 2008年(平成20年)4月4日 ニシローランドゴリラのメスのダイコ(推定31歳)が病死。肺腫瘍と推定される。
沿革
【天王川公園31】<2017>
津島藤まつりⅣ
中之島の藤棚壱中之島の藤棚弐
中之島の藤棚参
中之島の藤棚四
中之島の藤棚伍
中之島の藤棚六
観光船乗場
藤棚➀
藤棚➁
藤棚③
藤棚④
藤棚⑤
藤棚⑥
藤棚⑦
藤棚⑧
藤棚⑨
藤棚⑩
藤棚⑪
藤棚⑫
◆津島藤まつり
4月下旬~5月上旬
かつて津島市は「藤浪の里」といわれたほどの藤の名所。その名残を今に伝えるのが、毎年4月下旬から5月上旬にかけて行われる「尾張津島藤まつり」です。会場となる天王川公園には、長さ275m、面積約5,034平方メートルの見事な藤棚があり、まつり期間中、夜間はライトアップされています。
甘い香りに包まれて、昼は風にそよぐ壮麗な藤を、夜は幻想的な美しさを醸し出す藤を心ゆくまで味わえます。さらに、藤棚の下を流れる疎水の水面に映える美しい藤の花の眺めは、ひと味違う趣があります。
会場では家族で楽しめるイベントが、また、街並散策では津島の歴史の古さを物語る町家等で各種イベントが催され、たくさんの観光客や家族づれでにぎわいます。
甘い香りに包まれて、昼は風にそよぐ壮麗な藤を、夜は幻想的な美しさを醸し出す藤を心ゆくまで味わえます。さらに、藤棚の下を流れる疎水の水面に映える美しい藤の花の眺めは、ひと味違う趣があります。
会場では家族で楽しめるイベントが、また、街並散策では津島の歴史の古さを物語る町家等で各種イベントが催され、たくさんの観光客や家族づれでにぎわいます。
天王川公園の12種類の藤
天王川公園の藤は棚面積5,034平方メートルに、キュウシャクフジを中心に12種類114本。名前の表示もありますのでおでかけの際にぜひさがしてみてください。
http://www.city.tsushima.lg.jp/shokai/matsurikyoudo/fujimatsuri.images/fujishurui3.jpg
九尺藤(キュウシャクフジ)
九尺藤(キュウシャクフジ)
【浜松フラワ-パ-ク7】
日本庭園
木槿
木槿
水辺の広場壱
水辺の広場弐
水辺の広場参
水辺の広場四
水辺の広場伍
水鳥池(蓮池)
動物園との境界
動物園口(中央がチケット販売窓口)
動物園駐車場(有料)
動物園側ゲ-ト
動物園前交差点(三叉路):正面が舘山寺温泉街経由浜名湖ガ-デンパ-ク方面
◆舘山寺温泉街
歴史
その後、舘山寺第3温泉源の湧出量減少、源泉温度低下などが見られるようになったため、2006年から浜松市主導のもと新源泉(舘山寺第4温泉源)の掘削を始めた。地下およそ2000メートルまで掘り下げ2007年湧出。2008年1月5日から供給を開始した。現在は舘山寺第3温泉源と舘山寺第4温泉源が利用されている。
泉質
舘山寺第3温泉源
舘山寺第4温泉源
- 塩化物強塩泉
- 源泉温度:33.7℃
- 湧出量:毎分171リットル
その他自家源泉
温泉街
浜名湖沿岸に温泉街が広がる。旅館は19軒存在する。はままつフラワーパーク、浜松市動物園、遊園地である浜名湖パルパルなども近くに存在し、行楽地として発展している。近くにある舘山寺(寺院)が、この温泉名の由来である。
アクセス
- 車
- 浜松市街・東名高速道路浜松西IC方面:静岡県道48号舘山寺鹿谷線(舘山寺街道)を終点まで。
- 新居町・舞阪方面:静岡県道323号舘山寺弁天島線を起点まで。
- 鉄道:東海道新幹線浜松駅より路線バス、シャトルバスで約40分。
- 浜名湖ガ-デンパ-クへの路線バスは舘山寺温泉経由で3便/日で約60分。
【美濃竹鼻別院10】<2017>
藤まつりⅡ
竹鼻別院御本尊藤棚
竹鼻別院境内
歴史映画資料館
内部一
竹鼻まつり山車一覧壱
竹鼻まつり山車一覧弐
山車❶
山車❷
山車❸
山車❹
山車➎
山車➏
山車❼
山車❽
山車❾
山車❿
山車➀
山車➁
◆美濃竹鼻まつり・藤まつり
祭りの概要
5月3日に行われる美濃竹鼻まつりでは200年以上前につくられた13輌の山車と、それぞれの山車の上で繰り広げられる演出を見物しよう。それぞれの山車には、金や銀の糸を使った豪華な装飾がついており、日本の美術品を見ているようだ。最大の見所は、豪華な山車が赤い絨毯の上に勢揃いし、1輌ずつ演目を披露する「曳き揃え」だ。山車の演目に登場する「からくり人形」も200年以上前につくられたもの。「からくり」とは、精巧な機械仕掛けのことで、当時の職人たちが人形につめこんだ技術力の高さに、驚かずにはいられない。
また、竹鼻まつりと同時期に2週間ほど行われるふじまつりも要チェック。海外でも人気の高い藤の花をじっくりと楽しめる。薄紫色の美しい花が頭上いっぱいに広がる様子は幻想的で、その優しい香りも、思い出になるはずだ。
地元の町が所有する13輌の山車のうち、半数の6輌もしくは7輌が隔年で街を練り歩き、残りの半分は竹鼻商店街周辺の町内3箇所に展示されている。金や銀の糸で織られた豪華絢爛な幕は、日本の伝統を物語る美術品。装飾の繊細さ、美しさを近くで見られるチャンスだ。
2.「からくり」には日本の技術の基礎が詰まっている
巡行する山車が集まる「曳き揃え」で、神様に捧げる伝統芸は私たちの目も楽しませてくれる。子供達の手踊りやからくり人形など山車によって様々な演目がある。特に「からくり人形」の演目では、機械仕掛けの人形の精密な動きと煌びやかな衣装から目が離せない。中には、人形に筆を持たせるとひとりでに文字を書くものもあり、その技術力の高さは200年前に作られたとは思えない。
3.樹齢300年の生命力を感じよう
竹鼻別院の藤は最長33mに枝を伸ばし、樹齢は300年以上にもなる。その歴史のなかで枯れかけてしまったこともあるが、市民の努力で復活し、今では毎年花を咲かせ生命力を感じさせてくれる。また、一面に広がる満開の藤の枝の下には茶席が用意され、見物客は花の香りを感じながらお茶を楽しめる。午後6時半~午後9時は藤の木がライトアップされ、グラデーションがより美しい。
【美濃竹鼻別院9】<2017>
竹鼻別院の藤
竹鼻別院 山門竹鼻別院 藤まつり会場
藤まつり➀
藤まつり➁
藤まつり③
藤まつり④
藤まつり⑤
藤まつり⑥
藤まつり⑦
藤まつり⑧
藤まつり⑨
藤まつり⑩
本殿
参道
藤棚
◆竹鼻別院
沿革
嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国より帰京する際に三河国に立ち寄り、住民に説法していることを聞いた尾張国葉栗郡門間庄[注釈 1]の住人9名(後の河野九門徒)が帰依し、尾張国葉栗郡木瀬[注釈 2]に草庵を建立したのが始まりとされる。
文明2年(1470年)、蓮如がこの地を訪れた際、この草庵を再興。新加納[注釈 3]に移転し「河野御坊」と名づける。当時、この地域[注釈 4]では、浄土真宗に改宗した寺院が多く、蓮如の足跡が多く残されている。
宝暦10年(1760年)、現在地に移転する。
文政5年(1822年)、本堂を再建する。
大正11年(1922年)、再建される。
竹鼻別院の藤
- 竹鼻別院の境内にある藤は、推定樹齢250年[注釈 5]。枝張りは東西約30m、南北約15mの大木である。単独の1本の藤としては日本有数の大きさであり、岐阜県指定天然記念物である[2]。
- 毎年4月下旬~5月上旬には、「みの竹鼻まつり・ふじまつり」が開催され、竹鼻別院はその会場の一部となる。
河野九門徒
上記沿革のとおり、嘉禎元年(1235年)、親鸞が東国より帰京する際に三河国に立ち寄り、その説法を聞いた門間庄[注釈 1]の住人9名が帰依し、草庵を建立する。文明2年(1470年)に、蓮如が草庵を再興し、かつて親鸞の説法を聞いて帰依した9人の門徒の子孫の寺院を「河野九門徒」と名づけたと伝えられる。
- 善龍寺 (現・河野善龍寺 愛知県一宮市)
- 栄泉寺 (現・河野栄泉寺 愛知県一宮市)
- 妙性坊 (現・河野妙性坊 愛知県一宮市)
- 西徳寺 (現・河野円城寺 岐阜県羽島郡笠松町)
- 稱名寺
- 専福寺 (現・竹鼻別院 岐阜県羽島市)
- 西入坊 (現・河野西入坊 岐阜県各務原市)
- 安楽寺 (現・河野安楽寺 岐阜県各務原市)
- 専光寺 (現・河野専光寺 岐阜県羽島郡岐南町
所在地
交通アクセス
脚注
注釈
出典
【美濃竹鼻まつり3】<2017>
八剣神社
門前参道
本殿❶
本殿❷
竹鼻まつりは八釼神社の祭事
由緒
お神酒
拝殿
本殿から門前を臨む
竹鼻祭り当日
最初に登場した本覚寺前を通過
「ぐるっと羽島」会場
絡繰り(上町)
演台車(中町)
裏側
◆美濃竹鼻まつり
概要
天正9年(1582年)、当時竹ヶ鼻城城主であった不破源六広綱が八剱神社を竹が鼻城の鬼門除けとして現在地に遷座したことが始まりといわれている。「濃州徇行記」という文献によると、寛政年間(1789年-1801年)には山車は7輌とあり、創健当時は下町、中町、上町などが中心となり山車は7輌であったとされる。その後13輌となったが現在曳き出している町とは異なる町がある。
現在は、宮町、大西町、上鍋屋町、下鍋屋町、川町、下城町、上城町、福江町、新町、中町、本町、上町、今町の13町で13輌の山車があり、大正11年(1922年)より毎年半数(7輌又は6輌)が交代で曳き回されている。また明治24年(1891年) 10月28日に起こった濃尾地震では、5町の山車が火災により焼失したが、その後再建されている。
また祭礼日時は何度かの変更があり、天保年間(1830年-1844年)には旧暦の8月8日、9日との記録があり、明治の初めまで続いた。明治12年(1879年)新暦に改暦されてからは10月8日、9日、明治35年(1902年)には5月8日、9日、昭和49年(1974年)に本楽(ほんがく)を子供の日に合わせ5月4日、5日、昭和62年(1987年)から5月2日、3日に変更され現在に至っている。
山車
13基の山車は屋台型の山車で、大幕、見送り幕、水引は、金糸や銀糸、色糸で刺繍を施された絢爛豪華なものである。また、山車の上で奉芸(ぶげい)といわれる子供達の踊りや、からくり人形が披露される。車輪は4輪の地車(内車)様式である。
宮町
大西町
上鍋屋町
- 高さ: 4.8m 間口:2.3m 長さ:4.5m
- 創設: 不明。明治24年(1891年) 10月28日に起こった濃尾地震にて焼失。その後明治37年(1904年)に大垣の久瀬川より山車を購入
- 奉芸: 縮緬ぬいぐるみ「布袋おどり」
下鍋屋町
- 高さ: 5.4m 間口:1.7m 長さ:3.6m
- 創設: 天保年間(1830年~1843年)の建造と伝えられる。明治元年(1868年)と大正元年(1912年)に改修
- 奉芸: からくり人形「唐子肩車太鼓打ち」
川町
下城町
上城町
福江町
新町
中町
本町
上町
今町
- 高さ: 5.1m 間口:1.8m 長さ:3.6m
- 創設: 大正中期の建造
- 奉芸: 子供の手踊り