【幸福駅交通公園】帯広市幸福町東1線≪旧国鉄広尾線幸福駅跡≫

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幸福駅交通公園(列車・駅舎現物保存)

この駅には未だ「広尾線」と「士幌線」が現役で国鉄として走っていた頃、(1978年/昭和53年)に「帯広-糠平」間と「帯広-広尾」間を走破しました。
そこで、今更乍らですが、文献や現地で拾った情報を纏めてみました。
◆「幸福」という地名の由来
もとはこの一帯はアイヌ語で「サチナイ(乾いた川の意)」と呼ばれていた。
1897年(明治30年)、福井県大野(現越前大野市)から集団移住が行われ、入植者によって幸震(震の字を「ない」にあてたのは地震のことを古語で「ない」といった事による)という字を当てられた。
それが後に音読みされて「こうしん」となってしまった(1929年に広尾線が部分開通した際には幸震駅が設けられたが、この駅は後に大正駅と改名されている)。
その後幸震には福井からの移住者が多かったことにちなんで、集落名を幸福と改めた。あえてこの名を選んだのは開拓の苦しさと無縁ではないという。
尚、近くに位置する中札内村も「サチナイ」から転じた地名である。
その後、1956年11月1日、幸福仮乗降場を経て幸福駅が開業した。
この頃から片面ホーム一面に線路一線の棒線駅で、駅舎と呼ぶには小さな待合室だけの田舎の小駅にすぎなかった。
◆幸福駅ブ-ム
1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において『幸福への旅 ~帯広~』として紹介されたことから知名度が上昇した。
それまでもこの駅は一部の旅人に注目されていたが、片面ホームしか持たず交換すら出来ないこの小さな駅が全国規模で有名になるのはこの番組の放映後なのである。
周りの駅は相次いで幸福駅までの乗車券を増刷し、幸福駅の周りの商店も入場券の販売をする様になった。
この駅が十勝平野のまっただ中、北海道の果てのような場所に位置し旅情があったこともこのブームに火をつける理由となった。
特に幸福駅より二つ帯広駅寄りの愛国駅と併せて、「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームとなった。
1974年にはこれを元にした歌『愛の国から幸福へ』(歌:芹洋子)も登場した。
前年には7枚しか売れなかった愛国→幸福間の切符が、この年は300万枚、4年間で1000万枚も売れた。
観光客が多数訪れるようになり、待合室の内外に利用者が名刺や使用済みの定期券などを記念に残していくようになったのもこの頃からである。
又、この時代はちょうどベトナム戦争末期やオイルショック発生など、世相に不安感が満ちていた頃であった為、これらの世相が「幸福」を求める人々を後押ししたとも思われる。
隣の大正駅を始めとして広尾線には愛国駅など縁起の良い名を持つ駅が点在しており、これらの駅との間の乗車券も活発に発行された。
例えば「大正駅 - 幸福駅」で「たいそう幸福」といった読み方の駄洒落である。
或いは、それらの駅相互の間でも「新生駅 - 大樹駅」などの切符が人気を集めた。
尚、愛国駅の名前の由来は、同地の開拓団が「愛国青年団」と称したことによるものである。
◆アクセス
(車利用)
幸福駅へは国道236号を帯広市街より南へ約30km。
とかち帯広空港からは西側へ国道236号へ向って約5Km。
とかち帯広空港付近には帯広広尾自動車道の[幸福IC]がある。
(バス利用)
帯広駅バスターミナルから十勝バス「広尾」行きで約45分、「幸福」停下車、徒歩約5分。
入場料/見学無料
休日/なし