【南部観光5】糸満市

摩文仁の丘Ⅰ





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ひめゆりの塔の次の見学地です。



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摩文仁村(まぶにそん)はかつて沖縄県島尻郡にあった村。現在の糸満市南東部にあたる。
沖縄戦では摩文仁が最後の激戦地となり、村民だけでも犠牲者数は約1200人近くと村人口の約半数にもなった。このため人口は半減し、このまま村独自では復興が難しいことから、1946年4月1日に隣接する真壁村と喜屋武村と合併、三和村となり摩文仁村は消滅した。
その後三和村は1961年10月1日に(旧)糸満町(現在の糸満市糸満)・高嶺村・兼城村と合併し(新)糸満町となり僅か15年で消滅。さらに1971年12月1日に市制施行し糸満市となっている。





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◆主要施設◆

沖縄戦跡国定公園(復帰前は政府立公園)全域が指定
平和祈念公園摩文仁
平和祈念堂(1978年完成)
平和祈念資料館(1975年開館、2000年にリニューアル)
国立沖縄戦没者墓苑
平和の礎(いしじ・1995年建立)
ひめゆりの塔(伊原)
ひめゆり平和祈念資料館(1989年開館)
健児の塔(摩文仁



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沖縄戦跡国定公園の広さは81.3平方km(陸域31.27平方km、海域50.03平方km)。戦跡としては唯一の国定公園
1965年(昭和40年)、琉球政府立公園に指定され、1972年(昭和47年)の本土復帰に伴い、国定公園に指定された。