【知多半田2】

新美南吉生家と周辺の神社仏閣





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南吉の生家・渡辺家 (なんきちのせいか・わたなべけ)


南吉は大正2年7月30日にこの家で生まれました。
道から見て右が父渡辺多蔵の畳屋、左が継母志んの下駄屋でした。
知多半島を縦断する街道と横断する街道が交わる地点に位置し、付近には常夜燈や石の道標ものこっています。



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幼い頃の南吉は、店から表の道を行き交う人々を眺めて育ちました。
傾斜地に建っていて正面から見ると平屋ですが裏にまわると二階建という変わったつくりになっています。



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童話「狐」や小説「雀」「帰郷」などの舞台で、南吉が亡くなる2ヶ月前に喉の痛みをこらえながら、「狐」「小さい太郎の悲しみ」など最後の作品を書いたところでもあります。
一時、人手に渡っていましたが半田市が購入し当時のままに復元して昭和62年から公開しています。



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岩滑八幡社(やなべはちまんしゃ)


岩滑の氏神。南吉は毎日ここの境内を通って、離れの家と店(生家)を往復していました。
童話「狐」「久助君の話」「疣」などに登場するほか、「権狐」(「ごん狐」の草稿)も境内の若衆倉の前で茂助爺から聞いた話として創作されています。



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常福院(じょうふくいん)


永禄年間(16世紀中頃)、岩滑城主の中山勝時が建立した浄土宗西山派の寺院。戦前は境内で盆踊りが行われ、南吉もよく踊っていました。
境内の大ソテツは創建時に植えられたもので市指定天然記念物。童話「ひよりげた」の舞台となったほか「久助君の話」小説「塀」にも登場します。


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