【犬山市街4】

秋の犬山城





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全国に12箇所しか現存していない江戸時代前後に建造された天守(国宝)を有する城郭の一つである(現存天守)。



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別名を白帝城という。この名は、犬山城木曽川沿いにあり、三国志劉備が臨終を迎えたことで有名な白帝城も長江沿いにあることから、それにちなみ荻生徂徠命名したと伝えられる。



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明治の廃藩置県で廃城となったが、1891年(明治24年)の濃尾地震天守の一部や櫓・城門などがこわれたため、1895年(明治28年)に城の修復を条件に旧犬山藩主成瀬正肥に無償で譲渡された。2004年(平成16年)3月時点で日本で唯一の個人所有の城であったが、同年4月に財団法人犬山城白帝文庫に移管されている。



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戦国時代の天守が現存しており、1935年(昭和10年)に国宝保存法に基づき当時の国宝(旧国宝)に指定、1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づき、あらためて国宝(新国宝)に指定されている。この天守は下の2重2階の主屋が1601年(慶長6年)に建てられ、1620年(元和6年)頃に3、4階を増築。その後唐破風の付加などが行われて現在の姿になった。



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廃藩置県の際に払い下げられた建造物として、矢来門が専修院東門に、黒門が徳林寺、松ノ丸門が千秋寺、内田門と伝わる城門が瑞泉寺にそれぞれ移築され現存する。また、どこの門かは不明であるが、幾つかの城門が蓮善寺他に移築現存する。



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 国宝犬山城天守は、三層五階の望楼式となっている。 本の丸で間近に見る天守もいい姿だが、木曽川の河原より見る天守は実に絵になる。



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 城の中核部分は野面積みの石垣造りとなっている。 
現在本の丸には、天守の他に模擬隅櫓と櫓門が石塁の上に建てられている。



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天守閣から北を見る

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天守閣から南を見る



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歴代城主年表