【犬山市街5】

秋の犬山城





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戦国時代の天守が現存しており、1935年(昭和10年)に国宝保存法に基づき当時の国宝(旧国宝)に指定、1952年(昭和27年)には文化財保護法に基づき、あらためて国宝(新国宝)に指定されている。
この天守は下の2重2階の主屋が1601年(慶長6年)に建てられ、1620年(元和6年)頃に3、4階を増築。
その後唐破風の付加などが行われて現在の姿になった。



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廃藩置県の際に払い下げられた建造物として矢来門が専修院東門に黒門が徳林寺、松ノ丸門が千秋寺、内田門と伝わる城門が瑞泉寺にそれぞれ移築され現存する。



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また、どこの門かは不明であるが、幾つかの城門が蓮善寺他に移築現存する。



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現存天守は必ずしも創建当時の建物をそのまま保存されているものということではなく修復等を繰り返しほぼ創建当時のままを維持してきたもの(姫路城・彦根城)、または、現存天守が在籍していた城が存城であった当時に再建、改築されたものがほぼそのまま残っているもの(犬山城松本城高知城丸岡城松江城など)、付属する一部の建物を焼失または改築されたもの(宇和島城)、明治維新以降に保存されるまでの経緯で付属する建物を撤去、または損失したことにより主に主体のみが保存されることになったもの(備中松山城松山城弘前城丸亀城など)などである。
またこの括りには存城当時、御三階櫓などと呼ばれていたものも含まれている。



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第二次世界大戦での戦災、その戦後の失火によって焼失したもの8城(松前城水戸城大垣城名古屋城和歌山城岡山城福山城広島城)も戦前・終戦直後までは旧制度での国宝などの文化財に指定されていたものであり、現存天守と呼ばれるものであった。



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現在文化財として見ることができるものは主に12城のもののみであるがそのほかの三階櫓等の天守に相当したといわれる建物(熊本城宇土櫓など)も現存天守として見る研究者や学者もある。



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織田信長に始まったとも言われる城の象徴である天守は、関ヶ原の合戦前後に築城のピークを迎えるが、江戸幕府一国一城令による破却で城郭数は激減するとともに、武家諸法度により新たな築城や増改築は禁止された。
また、江戸時代を通じて災害等により焼失・倒壊し、再建されなかった天守もあったため(江戸城大坂城など)その数は減少の一途であった。
しかも、幕末から明治にかけての戦乱や明治政府の廃城令、また天災や第二次世界大戦(太平洋戦争)での戦災などにより、更に数多くの城郭が失われたため今や現存天守は全国で12城しかなくこれらを総称して現存12天守という。
いずれも歴史的価値の認められる建造物であるため国宝や国の重要文化財に指定されておりその区分により「国宝四城」(国宝城郭都市観光協議会による名称)や「重文八城」と呼ばれることがある。



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また、これらは一般的に「本物の城(天守)」と言われる。
その維持・保存には、文化庁の指導のもと釘一本に至るまで伝統的な城郭建築の技法を求められるため、多額の経費が必要である。
尚、ちょうど12城のため、カレンダーの背景に使われることも多い。



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