【初詣09-8】 名古屋市千種区Ⅱ

大龍寺・旧昭和塾堂・豊玉稲荷・城山八幡宮(末森城跡)





覚王山で最大の見物はこの大龍寺で日本の建築史で最も奇抜な建築はおそらくさざえ堂だろうが、そのさざえ堂の前身とも言えるのが東京都本所羅漢寺の本堂「羅漢堂」です。
本所の羅漢寺は現在存在しないが、そのレプリカとも言える建物がこの名古屋に現存しています。
現在大龍寺は修復工事中であり基本的には参拝できません。




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末森城とは、織田信行(信長の弟)の居城だった城で現在は城山神社があります。
昭和塾堂は、昭和初期から大正にかけて、青年会(青年団)の活動が各地で盛んとなったことから、愛知県がその教化の中心となる精神修養の場として、昭和4年3月(工期約1年)、建設されました。
 建築後は、男女青年団の幹部や指導者の養成が3日〜10日の合宿により実施されたほか、婦人会、修養団体等の利用が相次ぎました。
 戦時中は、陸軍(いかり部隊)や東海軍司令部として、戦後は名古屋大学医学部基礎医学系諸教室や、愛知県教育文化研究所、千種区役所仮庁舎として利用され、現在は、愛知学院大学大学院歯学部研究棟として使用されています。




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この地域一帯は、江戸時代以前は尾張国愛知郡末森村といわれていました。
500年以上前より楠という字(現在の千種区春里町)に八幡社が鎮座していましたが、織田信行が白山比咩神社を勧請して以来末森城址にあった白山社、ほか末森村内の浅間社、山神社、一ノ御前社を明治41年(1908年)に合祀し、改めて創建となりました。
明治45年(1912年)、末森城跡地が八幡社の所有地となり、昭和11年(1936年)に現在地に遷座した。
昭和31年(1956年)に現在の城山八幡宮に改称しました。



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