【初詣09-10】 名古屋市昭和区Ⅱ

(桜)誓願寺・光真寺・隼人池・宝殊院・半僧坊真福寺




Ⅰの浄昇寺から南西へ向かいます。


坂の右側には桜誓願寺があります。1572(元亀3)年、誓願寺は清須に建立され、清洲越しによって白川へと移りやはり戦時中にこの地へ移転しました。
境内には比叡山の桜が植えられていることから桜誓願寺と呼ばれるようになりました。
境内には開運・厄除のみがわり地蔵尊が安置されています。



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飯田街道に出ると隼人池公園の反対側には光真寺があります。
かつて、農夫が山賊に襲われた時、お守りが斬られて農夫は助かったことから「不載薬師」とも呼ばれているお薬師さんを本尊としています。



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隼人池公園


天正年間(1573-1591)に創建された宝珠院は、周囲のお寺と同様清洲越し戦争疎開を経てこの地にやってきました。
かつてお寺の周辺は隼人池に接する湿地帯でイヌナシの木が群生していました。
しかし今ではお寺の境内に2本が残るのみで、県と市の天然記念物に指定されています。




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雲雀ヶ岡交差点を左に曲がりしばらく歩くと半僧坊新福寺があります。
このお寺は1885(M18)年に現在の中区栄3丁目に建立され1910(M43)年にこの地に移されたものです。
半僧坊の名の由来ですが方広寺開山禅師の危機を救った弟子が入門する際に、禅師から「姿は俗人だが心は僧。故に汝は半僧坊だ」と言われたことに由来するものだそうです。
この半僧坊は観音さまの化身だったといわれ本尊の阿弥陀如来の頭の中に観音さまが納められているのだそうです。
そして本堂の前には宮本武蔵の碑があります。
ここの石碑は「新免政名供養碑」と呼ばれ1793(寛政5)年の武蔵百四十九年忌の法要の際、円明ニ天流を伝えた左右田邦俊五代の門弟、市川長之がその門人とともに建てたものです。
武蔵は尾張藩主義直に面会し、藩士と剣術試合を行い二刀を使う圓明流を伝えたとのことです。




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