【半田市7】
赤レンガの建物
耐震補強後壱耐震補強後弐
改修後全体
モデルではなさそう・・・
南側から
西側から
住吉町踏切
知多半田駅方面
住吉町駅
住吉町駅改札付近
住吉町駅上りホ-ム
◆赤レンガの建物
歴史
1898年(明治31年)、基礎設計をドイツのゲルマニア機械製作所、実施設計を妻木頼黄が手がけた丸三麦酒のビール工場であった。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)に中島飛行機製作所の衣糧倉庫となり、戦後は1948年(昭和23年)7月に設立された日本食品化工のコーンスターチ製造工場の一部(主として製品保管倉庫)として1950年(昭和25年)3月より使用されたが、1994年(平成6年)9月に同工場は操業を終え、1996年(平成8年)3月に同社が半田市へ土地と建物(赤レンガ倉庫)を譲渡した[1]。
2004年(平成16年)7月23日にはハーフティンバー棟[5]、創建時主棟[6]、貯蔵庫棟[7] の3棟が国の登録有形文化財に、2009年(平成21年)2月23日には経済産業省より近代化産業遺産の認定を受けた[8][9]。なお、2014年(平成26年)より改修工事のため公開を行っていなかったが、2015年(平成27年)7月18日に観光施設としてリニューアルオープンした[10]。オープン後は、指定管理者として株式会社JTBプロモーションが管理運営を行っている[11]。
建物は、ハーフティンバー棟、創建時主棟、貯蔵庫棟の3棟で構成されており、改修前の建物内部は年に数回一般公開されていたが、2014年~2015年にかけての耐震補強工事を経て2015年(平成27年)7月18日からは常時公開されている(年末年始は除く)[1]。
施設
※以下はリニューアルオープンに伴い新設されたものである。
- 常設展示室
- 半田赤レンガ建物やカブトビールの歴史を紹介[12]。
- 企画展示室[13]
- カフェ ブリック・ショップ
- クラブハウス
- A-Dの4室あり、工房や音楽活動の場として使用される[15]。
- マルシェ広場[15]
- 芝生広場[15]
交通アクセス
外部リンク
◆住吉町駅
歴史
- 1933年(昭和8年)7月10日 - 知多鉄道の農学校前駅(のうがっこうまええき)として開業。
- 1943年(昭和18年)2月1日 - 知多鉄道が名古屋鉄道に合併。
- 1949年(昭和24年)12月1日 - 住吉町駅に改称。
- 1982年(昭和57年)6月14日 - 橋上駅舎に改築。
- 2006年(平成18年)
- 2008年(平成20年)12月27日 - ダイヤ改正で特急の特別停車が廃止となる。
- 2011年(平成23年)
駅構造
8両編成対応の相対式2面2線ホームを有する地上駅。終日有人駅である。駅係員は西改札口にのみ配置されている。 以前は東西に通り抜けができ、東側は名鉄スイミングスクール半田と直接つながっていたが、バリアフリー対応工事後は改札内の上下ホーム間移動しかできなくなった。 かつては列車案内表示、自動放送装置はなかったが2008年度末にバリアフリー対応工事後、LED表示の列車案内と自動放送が装備されている。改札内にトイレがあるが、エレベーター・エスカレーターはない。
ホーム 路線 方向 行先 1 2■河和線 | 下り | 知多半田・河和・内海方面 |
■河和線 | 上り | 太田川・名古屋方面 |
配線図
← 太田川・ 名古屋方面 | → 知多半田・ 河和方面 | |
利用状況
- 『名鉄120年:近20年のあゆみ』によると2013年度当時の1日平均乗降人員は5,960人であり、この値は名鉄全駅(275駅)中67位、河和線・知多新線(24駅)中8位であった。
- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は5,228人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中85位、河和線・知多新線(26駅)中8位であった。
駅周辺
- 愛知県立半田高等学校
- 愛知県立半田農業高等学校
- 愛知県立半田工業高等学校
- 愛知県立ひいらぎ特別支援学校
- 愛知県警半田警察署
- 名古屋地方裁判所半田支部
- 半田税務署
- 半田労働基準監督署
- 半田公共職業安定所(ハローワーク半田)
- 愛知県知多総合庁舎
- 半田住吉郵便局
- 半田保健所
- 知多児童相談センター
- 住吉神社
- 半田赤レンガ建物(旧カブトビール工場)
- 名鉄協商住吉町パーキング
タクシー
- 名鉄知多タクシー
- 安全タクシー