【庄内緑地公園695】

彼岸花

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紅色

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黄色


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白色

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わんさか咲いています

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子供広場壱

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大欅

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子供広場弐


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子供広場参


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じゃぶじゃぶ池(富士山池)


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同上


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同上


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虫取り


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朝顔

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子供広場四


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     メタセコイア


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メタセコイア並木




彼岸花

ヒガンバナ彼岸花学名 : Lycoris radiata[1])は、ヒガンバナ科ヒガンバナ属多年草である。クロンキスト体系ではユリ科リコリス曼珠沙華マンジュシャゲ、またはマンジュシャカ サンスクリット語 manjusaka の音写)とも呼ばれる。

特徴

全草有毒多年生球根性植物。散形花序で6枚の花弁が放射状につく。
道端などに群生し、9月中旬に赤いをつけるが、稀に白いものもある。その姿は独特で、の終わりからの初めにかけて、高さ30 - 50cmのもない花茎が地上に突出し、その先端にに包まれた花序が一つだけ付く。苞が破れると5 - 7個前後の花が顔を出す。花は短いがあって横を向いて開き、全体としてはすべての花が輪生状に外向きに並ぶ。花弁は長さ40mm、幅約5mmと細長く、大きく反り返る。
開花終了の後、晩秋に長さ30 - 50cmの線形の細い葉をロゼット状に出す。葉は深緑でつやがある。葉は中は姿が見られるが、翌になると枯れてしまい、秋が近づくまで地表には何も生えてこない。
欧米では園芸品種が多く開発されている。園芸品種には赤のほか白、黄色の花弁をもつものがある。

日本での分布

日本には北海道から琉球列島まで見られるが、自生ではなく、ユーラシア大陸東部から帰化したものと考えられる。その経緯については、稲作の伝来時に土と共に鱗茎が混入してきて広まったといわれているが、を掘る小動物を避けるために有毒な鱗茎をあえて持ち込み、土手に植えたとも考えられる。また鱗茎は適切に用いればになり、また水にさらしてアルカロイド毒を除去すれば救荒食にもなる。そのような有用植物としての働きを熟知して運び込まれた可能性もある。
人里に生育し、田畑の周辺や堤防墓地などに見られることが多い。特に田畑の縁に沿って列をなすときには花時に見事な景観をなす。湿った場所を好み、時に水で洗われて球根が露出するのが見られる。なお、山間部森林内でも見られる場合があるが、これはむしろそのような場所がかつては人里であった可能性を示す。
日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であるとされるが、このことがただちに中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えることはできない。三倍体であるため一般に種子で増えることができないため、持ち込まれた複数のヒガンバナが中国ですでに遺伝的に同一であることは充分にあり得るためである。




メタセコイア学名: Metasequoia glyptostroboides)は、ヒノキ科(またはスギ科メタセコイア針葉樹。11和名アケボノスギ[2](曙杉)、イチイヒノキ。和名のアケボノスギは、英名 dawn redwood(または、学名 Metasequoia)を訳したもの。

形態・生態

樹高は生長すると高さ25-30 m、直径1.5 mになる。
モミネズに似て線のように細長く、長さは-3 cm程度、幅は1-2 mm程度で、羽状に対生に赤茶色に紅葉した後、落葉する。
雌雄同株で、花期は2-3月。雄花総状花序、あるいは円錐花序となって枝から垂れ下がる。
結実は多く、秋からにかけて無数のが地表に落ちる。

分布

メタセコイア化石日本各地の新生代第三紀層に見られ、カナダ北部・シベリアグリーンランドなど北半球北極周辺に広く分布していた。1939年に日本の関西地方第三紀層で、常緑種のセコイアに似た落葉種の植物遺体(化石の1種)が発見された。発見者の三木茂により、セコイアに「のちの、変わった」という意味の接頭語である「メタ」をつけて「メタセコイア」と命名され、1941年学会へ発表された。それまで発見されていたヌマスギやセコイアと異なると考え、メタセコイアを設けた。また、落葉樹であることも推定した。
当初、「化石」として発見されたために絶滅した種とされていたが、1945年中国四川省磨刀渓村(現在は湖北省利川市)の「水杉(スイサン)」が同種とされ、現存することが確認されたことから「生きている化石」と呼ばれることも多い。

保全状況評価