【JR枕崎駅】鹿児島県枕崎市

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(1)枕崎駅前(2)枕崎駅鹿児島交通車庫(3)枕崎駅舎内(4/5/6)枕崎駅構内

指宿枕崎線(いぶすきまくらざきせん)は、鹿児島県鹿児島市鹿児島中央駅から鹿児島県枕崎市枕崎駅に至る九州旅客鉄道JR九州)の鉄道路線地方交通線)である。
JRグループで最も南を走る路線である。
薩摩半島の東岸と南端を廻り、県都鹿児島市と温泉地指宿市および港町の枕崎市を結ぶ
観光の足となっているほか、鹿児島への通勤・通学路線となっている。
◆運行形態
全て普通列車ワンマン運転を行っている。
鹿児島中央駅からしばらくは、鹿児島市内の郊外住宅地の外れを通る。そのため、通勤通学需要がある。本数も多い。五位野駅まではほぼ20分間隔、喜入駅までは20~30分間隔である。
その先、指宿駅または山川駅まではほぼ一時間間隔である。
山川~枕崎間は本数が少なく、昼間に7時間ほど列車のない時間帯がある。
鹿児島中央駅枕崎駅間を直通する列車は1日1.5往復だけで、
ほかは指宿駅または山川駅で乗り換えとなる。
●快速「なのはな」
鹿児島中央~枕崎・山川間に快速なのはななのはなDXが平日は朝夕のみ、休日は昼間にも毎時1本運転される。
なのはなDXは観光用指定席連結の列車で2004年3月改正で登場した。
◆路線データ
管轄(事業種別):九州旅客鉄道第一種鉄道事業者
路線距離(営業キロ):87.9km
軌間:1067mm
駅数:36駅(起終点駅である鹿児島中央駅枕崎駅含む)
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:特殊自動閉塞式(軌道回路検知式)
◆歴史
山川~西頴娃間では開業時に擬制キロを採用し割増運賃が適用されたが、
翌年国鉄新線建設に対し補助金が出ることになったため擬制キロによる割増運賃は廃止された。
1930年12月7日 【開業】指宿線 西鹿児島~五位野 【駅新設】谷山、五位野
1934年5月20日 【延伸開業】五位野~喜入 【駅新設】平川、瀬々串、中名、喜入
1934年12月19日 【延伸開業】喜入~指宿 【駅新設】前之浜、生見、薩摩今和泉、宮ヶ浜、二月田、指宿
1936年3月25日 【延伸開業】指宿~山川 【駅新設】山川
1944年10月1日 【駅新設】南鹿児島
1960年3月22日 【延伸開業】山川~西頴娃(旅客営業のみ) 【駅新設】大山、西大山、薩摩川尻、東開聞、入野、頴娃、西頴娃
1963年10月31日 【延伸開業】西頴娃~枕崎(旅客営業のみ) 【駅新設】御領、石垣、水成川、頴娃大川、松ヶ浦、薩摩塩屋、白沢、薩摩板敷、枕崎 【線名改称】指宿枕崎線
1966年10月1日 【駅新設】坂之上
1980年10月1日 【貨物営業廃止】西鹿児島~山川
1986年12月1日 【臨時乗降場新設】郡元宇宿
1987年4月1日 【承継】九州旅客鉄道 【臨時乗降場→駅】郡元宇宿
1988年3月13日 【駅新設】慈眼寺
2004年3月13日 【駅名改称】西鹿児島鹿児島中央
鹿児島交通(枕崎-加世田-伊集院)
かつては南薩鉄道とよばれ、合併により鹿児島交通になった鉄道線は、薩摩半島の西海岸に沿って伊集院と枕崎をむすんでいました。両端で国鉄に接続し、伊集院では鹿児島本線の駅に間借りしていましたが、枕崎は国鉄指宿枕崎線の方があとから伸びてきたため、駅は鹿児島交通の所有でした。
その昔は蒸気機関車が活躍して、後にはディーゼル機関車気動車に取って代わられたものの、沿線の最大の町である加世田駅の構内には使われなくなってから久しい蒸気機関車や客車、貨車からガソリンカーまで、何両も放置されていたそうです。
気動車が造られた1950年代前半には、たくさんの乗客があったのでしょう。
国鉄のキハ42500(後のキハ07)のステップを無くした以外はそっくりな流線型のキハ100型が6両、その2年後に、国鉄の10系気動車そのもの(南薩鉄道の方が先という話もありますが)の300型を3両、まとめて増備しています。あとは廃線まで、蒸気機関車ディーゼル機関車になった以外は車両の増備は行われず、他社のような中古の気動車が入線することはありませんでした。
赤い車体の紺色の帯。当時の国鉄の一般型気動車は後のタラコ色ではなく、最近復活している国鉄色の赤とクリームの塗り分けでしたから、鹿児島交通の屋根まで真っ赤なこの色は目立つ存在でした。
300型は国鉄西鹿児島までの乗り入れにも使われていました。1970年には、鹿児島本線の電化が完成し、架線の下を赤い気動車が1両でとことこ走っていました。今とちがって、国鉄の幹線を定期列車がわずか1両で走る姿は、大変珍しいものでした。
鹿児島交通鉄道線は1983年に豪雨の被害を受け、全線にわたって不通になりました。
その後、部分的に復旧したものの翌1984年に廃止になりました。